ちきりんさんが、大学で教えたがるような人は面白くないとツイッターで呟いていた。自分のことを言われているようだ(笑)。

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つまらないというのは、その全体を否定しているように見えてしまうのだが、この発言の意図は、その少し前の連続呟きから引用すると以下のような主旨にある。

人は「自分の過去の成長カーブ」が、「自分のこれからの成長カーブより大きい」と感じ始めると、自分の成長より、他者の成長を手伝うほうが価値が高いと判断しはじめる。つまり自分の先行きの成長カーブに限界が見え始めると、「教育に関心がある」とか、「後進に自分の学んだことを伝えたい」とかいう気持ちになるんです。つまり「教育に関心がある」とか言い出したら、その人自身の成長は終わりってことです。本人が自覚したからこそ、そういう発想になる。ちきりん ‏@InsideCHIKIRIN 9月15日

 

人間は能力の極限まで出世するという「ピーターの法則」に類した言説である。私を含めて、大学人は確かにつまらない人が多いだろう。

ちきりんさんの意見に反対する人もいるだろう。そんなことはない、他の教師等はともかく、自分は面白い人間だと。でも、そう言う人も、はたから見ると、やはりつまらない人間なようにも見える(笑)。

また、ある大学のガイダンスで管理職が学生に「我大学の教師は面白い人ばかりだから、研究室を気軽に訪ねるように」というような話をしていた。その大学は面白い教師ばかりいるのかは私は知らない。

 
多分こんな応答があるかなと、推測してみた。
大学教師の偉い先生の思考パターンはこうだ。学生を含めた素人の誰かが何かの意見を言う。すると、「その根拠は?」と問うだろう。疑問を持つことを良しとする生業だからか。何か答える。するとまた、「本当にそうか?」と。結果をいぶかる。その上で、「科学的根拠は?」 とか問うのだろう。こういう事例やデータがあるとかいうと、「データの数は十分か?」、とか、「サンプリングはランダムであるか?」、「あなたの身の回りだけの話ではないの?」とも言うだろう。
だから、ちょっとしたアイデアを言っただけなのに、このように尋問され、全面否定される(笑)。会話自体が楽しくないし、もうこの人とは話したくないという気分なること請け合いだ。
したがって、「大学教師はつまらない」という結末にいたるのは当然のことである。
(とまた、いい加減な論理での結論となった。)